横浜市電保存館に行ってきました

97年4月19日


横浜にも、昭和47年まで市電が走っていました。私も子どものころ、乗った記憶があります。「横浜市電保存館」はそんな市電を静態保存している博物館です。

横浜・磯子近くの滝頭というところにあります。ここは今はバスの営業所(車庫)になっていますが、昔は市電の車庫があったと記憶しています。その車庫に隣接して、市電保存館はあります。

隣はバスの車庫です

駅から遠いので交通手段はバスです。根岸駅、磯子駅、関内桜木町方面から多くの系統のバスが出ています。「滝頭」か「市電保存館前」で下車します。滝頭を通る系統の方が多いでしょう。入り口が市バス車庫の裏側になるので、滝頭で降りた場合は、裏の道にまわります。バス停そばの信号のある交差点に案内板が出ています。「市電保存館前」の停留所からは目の前です。この停留所、滝頭車庫のもう一つの入り口側にあります。何のことはない、車庫の表口と裏口(結構離れている)に別のバス停があるということです。市電保存館ができる前はこちらの口のバス停名は「滝頭車庫」だったと思います。

保存館の中は3コーナーに分かれています。

市電コーナー

市電が6台保存してあります。中に入ることもできます。保存状態は大変良く、今でもすぐに運転出来そうです。市電にもいろいろな形式があることがわかります。最後はワンマンカーとして運転されたものは、大きなバックミラーをつけていました。

 

鉄道模型コーナー

鉄道模型の展示や実際の線路レイアウトで模型を走らせています。大きなレイアウトにはHOゲージ2線とOゲージ(HOゲージの2倍の幅)6線があります。1日何回か自動運転の時間があり、いろいろな電車が順番に運転されています。また、市電の模型の運転(無料)、踊り子号の模型の運転(100円)ができます。両方とも本物のマスコン(電車を運転するためのレバーの様なもの)を使って模型を動かします。意味も無くガチャガチャすると怒られますのでご注意。

ミニ鉄道コーナーではNゲージのレイアウトが3線あり、運転することができます。(1回100円)成田エキスプレスや山手線が用意されていますが、自分のNゲージの模型を持ち込んで運転することもできるようです。

また、展示されている模型は、蒸気機関車や国鉄の多くの形式があり、手作りの模型です。

その他、ダイヤグラムや記念切符、地下鉄のパンフレットなど、多くの資料があります。地下鉄が初めて開業したときの記念切符は私も買った覚えがありますが、どこにあるのかなあ。

 

地下鉄コーナー

横浜の地下鉄や、その他の鉄道のパネル展示があります。地下鉄の自動改札機の仕組みが分かる透明モデルが置いてありました。今でこそ珍しくない自動改札ですが、横浜市営地下鉄は開業当時から全て自動改札を使用しており、当時としては画期的なものでした。

また、地下鉄の運転シミュレータもあるようですが、やっている人はいませんでした。(100円)

実際に行ってみて

先週行った「こども科学館」とは異なり、土曜日の午後なのに館内は閑散としていました。でも、時代がタイムスリップした感じでとても懐かしく過ごしました。どちらかといったら子どものためというより、30代以上の親のための場所かもしれません。

ジュースやスナックは売っています。職員の方は、昔風の「恐いけどやさしいおじさん」です。注意を守らないと怒られますし、ちょっととっつきにくいですが根は優しいと思います。」

市電・市バスの思い出話

せっかく昔の気分に浸ったので、昔話をいくつか。

私の記憶では市電は廃止のころは20円(均一料金)だったのですが、子ども料金がなかったように思います。そのころバスが大人30円、子ども15円だったと思います。本当に子ども料金がなかったのか、それはなぜなのか知っている人はいないでしょうか?

横浜市には市制記念日がありません。(あるのかも知りませんが、学校で習わなかった)その代わり6月2日は「開港記念日」で市立の学校はお休みになります。(最近は横浜市民はこの日ディズニーランドに行くらしい)昔はこの日に市バスや市電に乗ると、記念乗車券になっていました。今みたいに、使わないための記念乗車券ではなく、実用的なもの。だって、車内でお金を払うと皆この切符をもらえるのだから。半券を渡した後の部分は手許に残ります。こんなのも、きちんととっていたら価値がでだんだろうにな。

トロリーバスって知っていますか?正式には「無軌条電車」、道路上の架線から電気をもらってモーターで動くのですが、形はバスです。タイヤもハンドルも付いています。横浜にも走っていました。今の横浜駅西口循環系統(201,202系統)がそうです。当時の系統番号は101,102でした。そのころは系統番号が100を超えていなかったので、特別な番号でした。市電がなくなって道路上の架線が邪魔になったのと、バスのようで自由に走れない(追い越しくらいはできますが、基本的に架線の下しか走れないので)ので普通のバスに置き換わってしまったのでしょう。ちなみに、バスと同じと言っても、ギアがどうなっていたのかは憶えていません。中央の降車扉が中折れ両開き(つまり4枚の部分に分かれる)のも当時としては異彩を放っていました。

地下鉄が横浜に開通したのは昭和47年。伊勢佐木長者町から上大岡までという中途半端な開業でした。当然その時代ですから冷房はありませんが、夏でも地下鉄の駅に入るとかなりひんやりしたものです。地下鉄の1号線は関内から戸塚方面、3号線が山下町から関内、横浜を経て新横浜方面ということになっていました。そのため、横浜駅まで延長されたときから「1号線3号線の直通運転」という形式をとっています。今でもそう言っているのでしょうか?シンボルカラーも1号線は黄色、3号線はオレンジでした。関内駅は赤坂見附駅の様に、同じ方向が同じホームで乗り換えられるように作ってあり、反対側の駅名標は確かにオレンジで書いてありました。山下町方面の延長計画がなくなって、関内駅の使われるあての無くなったホームはいつしか壁で覆われてしまったようです。山下町方面には今「みなとみらい21線」が工事中です。


横浜市電保存館のホームページ


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