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横浜ちょっと昔のちょっといい話

横浜の市電が消えた頃〜市営の電車たち

1998年4月4日

 横浜には昭和47年まで市電が走っていました。市電の話は別の機会にゆずるとして、今回は横浜市営の電車、トロリーバスと地下鉄の話です。

 トロリーバス・・・正式には「無軌条電車」、電車の仲間です。でも実態は道路上の架線から電気をもらってモーターで動くバスです。タイヤもハンドルも付いていますが、架線が必要ですから決まったコースしか走れません。横浜でトロリーバスが走っていたのは昭和34年から47年まで約12年間の短い期間でした。今の横浜駅西口循環系統(201・202系統:横浜駅西口〜浅間町車庫前〜和田町〜三ッ沢〜横浜駅西口)がそうです。多くの乗客がいたのですが、変電所が必要なことと、車輌が更新の時期にきたことから、市電と同じ時期に廃止になりました。中央の降車扉が中折れ両開き(つまり4枚の部分に分かれる)のがカッコ良く思った記憶があります。ただ、今写真で見ると、そんなに広い扉ではありませんでした。まだ、市バスのワンマン化が進んでいない中、トロリーバスは最初から全てワンマンでした。乗り心地は、普通のバスと変り無かったような気がします。エンジンでなくてモーターだから、ずいぶん違うように思いますが、子供には区別が付きませんでした。

 市電とトロリーバスが廃止になり、横浜市営の電車が無い時期が数ヶ月ありましたが、それもほんのわずか、横浜に地下鉄が開通しました。昭和47年の暮れのことです。伊勢佐木長者町から上大岡までの短い路線でした。関東ではその頃は自動改札はほとんどありませんでしたが、横浜の地下鉄は最初から全部の改札が自動改札・無人化されていました。伊勢佐木長者町駅はちょっと後に出来た大通り公園の中に駅があり、公園から駅へのアプローチは今見ても秀逸な造りです。地下鉄が開通した頃は4路線が計画されていましたが、現在の路線はその計画の1号線(関内〜湘南台)と3号線(あざみ野〜本牧方面)を関内駅でつなげたものです。3号線の関内から山下町は着工近くまで計画が進んだのですが、港へのコンテナ輸送の道路を工事で通行止めするわけに行かず、着工が遅れてるうち、みなとみらい21線が同じ地域に伸びることになり、地下鉄伸延は中止になりました。昭和51年に横浜〜上永谷まで延長された時できた地下鉄関内駅は、1号線と3号線が同じホームで乗り換えられる様に2階層で作ったのですが、戸塚方面のホームは壁が出来たり、市庁舎出口のエレベータ拡張にスペースを使われてしまいました。わずかに横浜方面のホームに当時の面影を残しています。ですから、関内駅には1番線と3番線はありません。本来関内駅の1番線、3番線になるところには当初にはオレンジ色の駅名標があり、3号線のシンボルカラーを予感させていたのですが、それもいつのまにか無くなってしまいました。弘明寺、蒔田駅のホームにはベンチでなく、壁にもたれて座るもたれ棒の様なものがありました、今も、当時と同じようなものがあります。横浜の地下鉄以外でこのようなものを見たことが無く、なぜこのような形のベンチもどきがあるのか謎です。当時は冷房もなかったのですが、夏の暑い日でも地下鉄の駅に降りるとひや〜としてとても気持ち良く感じました。

 地下鉄も開通してから25年以上経ちました。来年には戸塚〜湘南台の延長で、最初の計画の路線は地下鉄としては大体できたことになります。当初の3号線の残りの一部分はみなとみらい21線となるし、もとは鶴見〜港北ニュータウンの計画だった地下鉄4号線の一部(日吉〜港北ニュータウン方面)は地下鉄という形ではありませんが、現在構想段階の横浜環状鉄道の一部になると思います。最初の予定とは大分違って、長い1本の路線になってしまった地下鉄ですが、これからも長く市民の足として活躍することでしょう。

追記

2004年4月24日

 その後、戸塚〜湘南台は1999年8月に開業しました。みなとみらい21線も2004年2月に開業しました。正式名称はともかく、「みなとみらい線」と呼ばれています。4号線の日吉−中山間は工事が進んでおり、現在のところ2007年秋に開業予定です。

アルバム

弘明寺駅のもたれ棒 弘明寺駅の「もたれ棒」。開業当時はブルーのクッションで覆われていた形式で今のものとは異なります。
(2003年5月1日撮影)
蒔田駅の壁の埋め込み 蒔田駅の水飲み場。壁に埋め込まれている黄色と青色のデザインは開業当時からのものです。弘明寺駅はエレベータの工事のときになくなってしまったようです。
(2003年5月1日撮影)
関内駅ホーム 左側が関内駅4番線ホーム(横浜方面)。右側は3番線ホームになるはずでした。現在は留置線として使われています。
(2003年5月1日撮影)
関内駅旧駅名標 3番線ホーム。2つの楕円は開業当時の駅名標です。使われている4番線が黄色地で「関内」と書いてあったのに対してこちらはオレンジ地で「関内」と書いてありました。
(2003年5月1日撮影)
伊勢佐木長者町駅の入り口 伊勢佐木長者町駅の大通り公園からの入り口。開業当時からの雰囲気を残しています。
(2003年5月1日撮影)

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(c) 2003 Masanori Kono