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横浜ちょっと昔のちょっといい話

横浜の公園物語

2000年3月25日

 めっきり暖かい日が続くようになりました。暖かな春の日差しに誘われて、公園にお散歩なんていかがですか。と、いうわけで、今回は横浜の公園の歴史についてお話しましょう。

 横浜は新しい町なので、古い庭園はあまりありません。それでも、開港の頃から最近までいろいろな公園ができています。まず最初に紹介するのはは山手公園。山手カトリック教会の脇を降りた、奥まったところにあります。ここは、明治3年に日本で最初にできた洋式公園です。当時は日本人は入れず、外国人専用の公園でした。この公園にはテニスコートがあり、多くの人がテニスを楽しんでいますが、実は日本で初めてテニスが行われた場所で、公園内にテニス発祥記念館もあります。また、この公園にはヒマラヤ杉が多く植わっていますが、これは、西洋の人にとって故郷を懐かしむ樹木なのです。

 山手の公園と言えば、港の見える丘公園を忘れるわけにはいかないでしょう。この公園は戦後にできました。このあたりはもともとは外国人居留地でフランスやイギリスが自国の軍隊を駐屯させていた場所です。戦後10年以上経った昭和37年、接収が解除になった時公園として整備されました。平野愛子さんや渡辺はま子さんによって歌われた「港が見える丘」の曲にちなんで「港の見える丘公園」という名前になりました。歌が作られたのが公園のできるずっと前のことで、この公園を歌った訳では無いですが、ここのために作られたような感じの曲ですね。そういえばオフコースの曲にもそんな歌詞があったような。この一帯は開園してから徐々に文化的な施設を拡充してきました。昭和44年には閉鎖になったイギリス領事館を「イギリス館」としてオープン、2年後には、開港からフランス軍が駐屯し以来フランス国家が所有していたフランス山を買い取って整備しました。公園の庭であるサンクン・ガーデンの奥正面にはフランス風の建物がありますが、横浜を愛した文豪大佛次郎の記念館です。昭和53年に開館しました。その裏手には県の近代文学館ができました。平成3年にはバラ園、さらに、平成11年にはローズガーデンや山手111番館が公開されています。開港の時のイギリスとフランスの文化が見事に溶け込んでいる公園ですね。港の見える丘公園からフランス山を通って下りてきたところに屋根のない、水色の鉄骨だけの建物(?)がありますが、この鉄骨はパリの中央市場で使われていた本物の鉄骨です。市場の移設によって不要になったものを譲り受け、建築しました。あくまでフランスにこだわっていますね。

 ここからフランス橋を通って人形の家を抜けると山下公園に到着です。山下公園は言わずと知れた臨港公園。一番横浜らしい公園です。この公園ができる前はイチョウ並木のある今の山下公園通りが海岸でした。外国人の居留地だったこのあたりは関東大震災で壊滅的な被害を受けました。レンガや石の瓦礫を処分できる場所は海岸しかなく、瓦礫で埋め立てられ、その上にできたのが山下公園です。昭和30年代に、山下公園の上に、貨物線の線路ができました。これにより、通りから海の景観が遮られるようになりましたが、その時代では、貨物の方が景観より大事でした。しかし、貨車の時代からコンテナトラックの時代になり、この高架線もあまり使われなくなりました。平成元年の横浜博ではこの線路を使って山下公園から桜木町の日本丸まで列車が走りましたが、それから山下公園の先の線路は切れてしまい、また、桜木町側も汽車道と名づけられた遊歩道になっています。この高架の線路も何年かのうちには撤去され、以前のように通りから海が見えるようになるとの事です。ところで山下公園にはたくさんのモニュメントがあります。赤い靴の像は有名ですが、このほかにも、大桟橋側にインドの水塔や「ザンギリ」の像もあるし、ガールスカウトの像などというものもありますので、探して見てください。

 さて、山下公園から、開港広場を経て関内駅の方に歩いていくと、横浜スタジアムが見えてきます。このスタジアムがあるのが横浜公園です。横浜公園は明治9年にできた日本初の公開された洋式公園です。山手公園は日本人は使えませんでしたが、横浜公園はそのような制限がありませんでした。そのため「彼我公園」と呼ばれました。彼らと我らの公園というわけです。関東大震災後公園内にできた野球場は戦後の接収により、「ゲーリック球場」となり日本初のナイターが行われました。昭和53年に建て換えられ、横浜スタジアムになりましたが、その時に野外音楽堂と武道館が取り壊されてしまいました。この公園は四月の中旬には16万本ものチューリップが咲くことで有名です。チューリップは公園のある中区の区の花になっています。

 横浜公園からJRを超えた反対側にある大通り公園は、昭和53年にできた長い公園です。それもそのはず、この公園ができる前はここは川が流れていました。川を埋め立て、地上を公園に、地下を地下鉄にしたのです。ですから、この公園を横切る道路は以前は橋だったわけです。関内駅に近いほうに石の広場、伊勢佐木長者町駅のあたりに水の広場があります。小さな公園ですが、住宅やビルがぎっしり建っているこのあたりには貴重な憩いの場所です。関内から坂東橋までぶらぶらと歩いて見るのものんびりして良いと思います。

 4月になると、お花見の季節。横浜にも花見ができる公園はたくさんありますが、根岸森林公園はお勧めです。この公園は基本的に広々とした空間があるだけで、花見の他にも散歩やスポーツ、木陰で昼寝など、のんびりと好きなことができる公園です。ここはかつて日本初の競馬場がありました。1866年に完成した競馬場は、最初は外国人のためでしたが、次第に日本人も見るようになりました。明治天皇も13回ここに足を運んでいます。春秋にそれぞれ数日ずつの開催で、昭和17年まで使われたので80年近い競馬場の歴史があることになります。戦後は接収され、ゴルフ場として使われていましたが、昭和44年に返還、整備されて昭和52年に公園になりました。今でも一等馬見所の建物は残されています。また、隣接して競馬記念公苑もできています。

 最近は、みなとみらい地区にも公園ができていますね。臨港パークは平成元年の横浜博覧会の時に作られたものが元になっています。また、赤レンガパークも一部が公開されています。

公園を散歩するとき、公園ができた昔を想うのも良いかもしれませんね。

追記

2003年8月11日

 赤レンガパークは2002年の3月に全面オープンしました。フランス山は現在整備工事中で2004年春に一部オープンの予定です。

アルバム

フランス山の鉄骨 フランス山の水色の鉄骨。パリ中央市場から持ってきたものです。公園整備中のため、外から撮影しました。
(2003年5月1日撮影)
横浜公園のチューリップ 横浜公園はチューリップがきれいです。中区の区花にもなっています。
(2003年4月12日撮影)
インドの水塔 山下公園のインドの水塔。ザンギリの像はこの近くにあったのですが、休憩所の整備で場所が移動しています。山下公園内のどこかにはありますが・・
(2003年5月1日撮影)
臨港パーク 臨港パーク。
(2003年5月1日撮影)
赤レンガパーク 赤レンガパーク。この写真の場所は旧税関事務所の遺構で、工事整備中に発見され、それを歌壇として利用しています。
(2003年5月1日)
桜のころの根岸森林公園 桜のころの根岸森林公園。
(1997年4月5日撮影)

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(c) 2003 Masanori Kono