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横浜ちょっと昔のちょっといい話

横浜のうた・ウタ・歌

2000年7月29日

 先日青江三奈さんが亡くなりました。青江三奈さんといえば「伊勢佐木町ブルース」ですね。今回はちょっと(だいぶ?)昔の横浜の歌を見ていってみましょう。

 横浜の名前がついた歌といえば、まず思い浮かぶのが「よこはま・たそがれ」。横浜の歌の中でも恐らく一番のヒット曲でしょう。1971年の作品ですから、かれこれ30年前の曲です。ただ、この曲、歌詞を読んでもあまり横浜のイメージが沸かないのですね。「ホテルの小部屋」と言っても具体的な横浜のホテルも浮かんできません。真偽のほどはわかりませんが、この曲は「横浜」「たそがれ」「くちづけ」「ブルース」「女の涙」などの歌謡曲によく出てくるフレーズを繋げたという話もあります。確かに詩を読むと典型的な歌謡曲のような気がします。というわけで、これは横浜の歌としてはボツ。

 これより少し前の時代に横浜を歌ってヒットした曲が2曲ありました。冒頭紹介した青江三奈さんの「伊勢佐木町ブルース」といしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」。両方とも1968年のヒット曲です。当時青江三奈さんは関内のクラブでジャズを歌っていました。この曲を作曲した鈴木庸一さんもラテンやジャズの演奏をしており、青江さんとも共演したことから作曲の依頼が来たのです。詩を書いた川内康範さんは函館の出身で、同じ港町の横浜が好きでした。このような人たちにより誕生した曲ですが、当然伊勢佐木町商店街のバックアップもありました。当初1月に発売の予定でしたが、レコードが一番売れる暮れを逃すのはもったいないと、レコード会社に談判し、12月にレコードを作ってもらったという話もあります。この曲を有名にしたイントロのため息ですが、レコーディングの時のアイデアで入れられたものだということです。

 「ブルーライトヨコハマ」はそれまでの港町・横浜のイメージ「港、船、岸壁、別れ・・・」というものが一切ありません。既にその頃は港と言っても、客船の時代ではなく、むしろ山下公園のように、海岸線としての港がイメージされたのでしょう。私はこの曲を聴くと、山下公園のマリンタワーの夜景を思い浮かべます。それほど明るくなく、静かな、しかし美しい夜景。その姿は歌が作られたときも今もほとんど変わらないと思います。

 もう少し新しい時代の曲として松任谷由実さんの「海を見ていた午後」を取り上げましょう。70年代中盤の曲です。この曲は、ご存知「ドルフィン」というレストランが舞台になっています。歌詞の中では「山手のドルフィン」となっていますが、ドルフィンは山手というより根岸、森林公園のすぐ近くにあります。この曲から見えるものは港・横浜ではなく東京湾をゆっくり通っている貨物船ですね。ドルフィンあたりからは根岸の海岸線の工場や煙突しか見えませんが、遠くを眺めると、美しい海と、行きかう大きな船が見えるという情景がすばらしい曲です。ドルフィンに関して余り知られていないエピソードを一つ。このお店をはじめたのは、「少年ケニア」という1950年代に大人気だった作品で有名な漫画家、山川惣治さんです。1968年頃の話です。漫画家とユーミンと貨物船・・・なんかつながりが無い様なところでいろいろつながっているのですね。

横浜の歌のようで、そうでない曲もあります。昭和22年にできた「港が見える丘」は港の見える丘公園のあたりを歌ったような曲ですが、公園ができたのは昭和37年、この曲よりずっと後です。詩を書いた東辰三さんは東京の出身ですが、学生時代神戸にいたことがあり、神戸がモデルではないかという説もあります。実際には、実在の場所を描いたものではないようです。でも、歌から公園の名前をつけてしまう横浜の勝ちですね(勝ち負けってナンダ?)

 最後に、横浜で一番よく知られていて、横浜を表している歌をご紹介しましょう。それは「横浜市歌」。小学校、中学校を横浜で過ごした人なら必ず知っている歌ですね。逆に、横浜市民でなければほとんど知られていないという歌です。以前は小学校の通知票(あゆみ)の最後のページに書かれていたのですが、いつのまにかなくなってしまいました。横浜市歌についていは横浜市のページに解説と歌詞、楽譜が載っていますので、ご存知無い方はぜひみてください。MIDIで音が聞けるページもあるようです。この曲が生まれたのは明治42年。横浜開港50周年を記念して作られました。いろいろ調べると、どうもこれは日本初の「市歌」のようです。大阪市歌が完成したのが大正10年、東京市歌は大正13年ですし、そもそも戦前に「市の歌」が制定されること自体珍しいことのようです。他の市ですと、市歌を制定しても、市民がほとんど知らないで終わってしまう場合もあるようですが、横浜市歌は市の催し物、学校行事、いろいろなところで歌われています。もともと開港を祝う歌ですので、小学校の時、開港記念日近くに市歌の歌詞について勉強した記憶があります。ところで、横浜市歌の詩を書いたのはあの文豪、森鴎外ですが、なぜ、横浜市歌の詩を鴎外が引き受けたのはよくわかりません。一説によると当時の横浜市長三橋信方は市長になる前、外務関係の仕事をやっていたので、その頃、鴎外との接点があったからという話もあります。作品ができて90年以上経ちました。親子孫の三代どころか四代に歌い継がれている歌、しかも、いつまでたっても古臭くならない(最初から古臭いから、もうこれ以上古臭くなりようが無い)この歌こそ、横浜を歌った歌のなかで、一番だと思います。

 歌は世につれ、世は歌につれと言いますが、これからも伝統のある歌が歌いつがれ、また、新しい歌が生まれてくるでしょう。

横浜市歌のページ
http://www.city.yokohama.jp/ne/info/symbol/song.html(歌詞)
http://www.city.yokohama.jp/ne/info/symbol/score.html(楽譜)

軽井沢中学校によるMIDIで横浜市歌(上記楽譜と若干異なります)
http://www.edu.city.yokohama.jp/jhs/karuizawa/folder1/html16.htm

参考文献 
読売新聞横浜支局「うた人ヨコハマ」 230クラブ出版社
富樫啓「歌のよこはま」有隣堂


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(c) 2003 Masanori Kono