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横浜ちょっと昔のちょっといい話

称名寺と金沢文庫

1999年9月25日

 今回は横浜の南のはずれ、称名寺と金沢文庫のお話です。これをご覧になっている方でも称名寺、金沢文庫は行ったことが無いという方が多いと思います。称名寺は京急金沢文庫駅より海に向かって歩いて10分ほど、すぐそばは海なのに、三方を山に囲まれ、池がある静かな庭園です。

 まずは古い歴史からお話しましょう。称名寺ができたのは、鎌倉時代、北条実時(さねとき)の時代です。実時は今の称名寺の場所に別荘を建てて住んでいました。そこに作った持仏堂が称名寺になりました。1267年のことです。実時の子・顕時、孫・貞顕の時代は称名寺が繁栄した時期です。仁王像も1323年に完成しました。実時は学問を好み、別荘を建てたときも小さな山を越えたところに集めてきた本や書を集めました。金沢文庫は、そうやって誕生しました。建物が建てられたのは1277年頃と言われています。そして、それを多くの学僧が利用しました。「徒然草」で有名な兼好法師も利用したということです。別荘の近くでなく、山を越えた場所に本を保管したのは、火事を恐れたためです。1333年に北条氏が滅亡した後は、次第に建立当時の姿を失っていきました。金沢文庫もその時々の権力者が資料を持ち出しました。特に徳川家康は江戸城の富士見文庫に多くの資料を移しました。

 時代を近代に進めましょう。金沢文庫の再建には伊藤博文の名前が出てきます。明治30年に称名寺境内に閲覧所を建てました。ちなみに伊藤博文は金沢の地で明治憲法の草案を作るなど、金沢にゆかりがあります。しかし、この閲覧所は関東大震災で倒壊してしまいます。その後、昭和5年に金沢文庫が復興されました。建物は鉄筋コンクリートの立派なものでした。図書館、塾の機能がありましたが昭和30年から歴史博物館として運営されていました。

 そのころ称名寺は小さかった私の遊び場でした。当時は現在通れない仁王門の中も通ることができました。薄暗い阿吽の像は幼い私にはとても恐いものでした。境内に入ると今と同じように池がありましたが、今よりずいぶん小さいものでした、しかも手入れがされておらず沼のようになっている場所もありました。でもアメリカザリガニはたくさんいました。金沢文庫は境内左奥の現在広場になっているところに建っていました。二階建ての立派な建物です。確か子供は入館料が10円だったような記憶があります。中は展示室があり書物などの他に、貝塚から出土した貝などが展示されていたのを覚えています。称名寺の境内では野球などはできないので、山を越えた小さな児童公園で良く遊んでいましたが、称名寺との間に秘密のトンネルがありました。大人がかがまなければならない位のトンネルですが、称名寺と公園の行き来に使えました。ところがそのトンネルは中で下のほうに行く道が分かれており、洞窟のようになっています。底には池があるとか、どこかとつながっているという話がありましたが、実際はどうだったのでしょう。

 実はそのころ一つの事件が密かに起こっていたのでした。それは住宅開発に関することです。称名寺の裏には決して高くはありませんが金沢山(きんたくさん)、稲荷山、日向山とよばれる金沢三山があり、それにより、住宅地のそばにありながら落ち着いたたたずまいを生み出しています。ところが、この裏山が住宅開発されることになったのです。山の稜線が削られれば称名寺の景観はだいなしになります。いろいろな紆余曲折があり、結局開発は山の北側だけになり、称名寺側から見た稜線は残されることになりました。昭和47年にはそれらの丘陵も含めて国指定の史跡になりました。もし、そのとき、開発が進められていたら、称名寺は平凡な古寺になっていたかも知れません。

 ここ20年ほどの間に称名寺は大きく変わりました。ひとつは昭和53年から10年間かけて行われた境内の整備です。史跡の中心の庭園苑池を整備したのです。以前の正確な図面は有りませんが、発掘調査と重要文化財「称名寺絵図」を参考に鎌倉時代の姿に復元しました。池も以前に比べて大きくなり、2つの朱色の橋−−平橋と反橋を復元、称名寺のシンボルになりました。また、金沢文庫も建て直されました。平成2年のことです。新しい金沢文庫は、鎌倉時代にあった場所、つまり、称名寺から山を越えたところに建てられ、称名寺と金沢文庫はトンネルでつながれました。まさに建立の姿そのものになったのです。以前の金沢文庫の建っていた場所は広場になりました。春はお花見バザー、夏は伽藍Doという音楽イベント、そして時には薪能と、さまざまなステージが行われます。

 また、数年前から称名寺のライトアップが始まりました。年に何回かですが、朱色の橋、その間の緑の木々、本堂は幽玄な青、とても美しい風景です。ライトアップだけでなく、春の桜、冬の雪など、四季を感じることができる静かな庭園に生まれ変わりました。

 最近では休みの日にボランティアによる無料ガイドも行われています。現代の中でほっとしたひとときを提供してくれる称名寺と金沢文庫、皆さんも一度訪れてみてはいかがでしょう。

追記

2003年8月7日

 称名寺は自宅から数分のところにあります。下の写真で分かる通り、住宅地の中にありながら、境内庭園の周りにはビルはおろか、住宅も見えません。自然の山に囲まれて静かな姿を保っています。

アルバム

春の称名寺 春の称名寺。参道の方が桜は多いのですが、遠くの山もピンクに色づいています
(2000年4月1日撮影)
夏の称名寺 夏の称名寺。山の濃い緑と白い雲とのコントラストが見事です。
(1999年8月15日撮影)
冬の称名寺 冬の称名寺。このあたりは海沿いで暖かく、横浜の中心部が雪の時でも、雪が降らないことが多いのですが、この日は珍しく大雪でした。
(2001年1月27日撮影)
ライトアップの称名寺 ライトアップの称名寺。春の薪能、夏の花火大会から伽藍Do、冬の年末年始と、最近は年に3回ほどライトアップが行われます。
(2002年8月27日撮影)
桜の頃の仁王門 桜の頃の仁王門。
(2000年4月8日)
仁王門の阿吽像 仁王門の阿吽像。普段は暗いですが、ライトアップの時には表情をはっきり見ることが出来ます。(2002年8月25日撮影。左右を合成)
彼岸花 秋の称名寺は彼岸花がきれいです。(2002年9月28日撮影)

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(c) 2003 Masanori Kono