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横浜ちょっと昔のちょっといい話

横浜のキング・クイーン・ジャック

1999年11月27日

 このタイトルを見て、「クイーンズスクエアはあるし、ジャックモールもできたけど、キングってどこだろう?」と思った方、その話は別の機会にして、今回はもう少し古いキング・クイーン・ジャック、横浜の建物のお話です。

 横浜には、古い建物が数多くあります。古い、と言っても関東大震災によりレンガ造りの建物はほとんどが瓦礫になったので、それ以降の建物ですが、多くが現役で使用されています。その中の3つの建物・・県庁本庁舎、横浜税関、開港記念会館がそれらの塔の特徴から、キング・クイーン・ジャックと称されています。それでは、建物を見るために少し散歩をしてみましょう。

 日本初の西洋公園であり、現在は横浜スタジアムのある横浜公園から港の方に歩いて行くと、とても幅の広い通りがあります。その名も日本大通り。残念ながら現在は地下鉄工事中なので、通りの広さは実感できませんが、それでも、道路を歩いて反対側の建物を見るとその遠さにびっくりします。この通りにはいろいろな建物があるのですが、まずは県庁本庁舎を見ましょう。

 日本大通りの突き当たり左手に大きな建物があります。これが県庁です。この場所は安政6年に運上所が設けられた場所でした.運上所とは今の役所や税関や外務省を合わせたような施設で、当時からこの場所は横浜の行政の中心でした。それまでの建物が関東大震災で倒壊したので、新しい建物の設計が公募され398の応募の中から当時東京市の技手だった小尾嘉郎の案が採用されました。竣工は昭和3年です。5階建ての建物の上に9階までの大きな塔屋が乗っています。この塔はドームではなく四角く、上部にはピラミッド状の屋根がついています。高さ48.6メートル。どっしりとした重厚な塔です。そのてっぺんには九輪のような飾りをもち、どことなく東洋的な感じもします。建物全体にもあまり装飾がなく、機能的な建物です。この建物の建築様式は、この後の各地の官庁に大きな影響を与えました。震災後なので耐震構造の鉄筋コンクリート造りです。県庁は日本大通りの向かいに分庁舎、裏側に新庁舎がありますが、現在でも本庁舎は建築当時の姿をとどめつつ、活躍しています。新庁舎やその他の高いビルも周りにできましたが、建物の周りに十分な空間がとってあるため、どの方向からもキングの塔を見ることができます。

 さて、日本大通りの突き当たりは海岸通りです。そこを左に折れ、海岸と平行に歩いてみましょう。次の交差点の先、右側にイスラムの寺院のようなドームの塔が見えます。これが横浜税関、クイーンの塔です。この建物は昭和9年に完成しました。震災で倒れた初代税関に代わり建てられましたが、震災後、竣工までにかなりの年月がかかったのは、港の設備の復興が優先されたためです。5階建ての建物の上に5階建ての塔屋があります。建物を外から見ると4階までの四角い窓に対して5階だけはアーチ型の窓になっています。良く見ると屋根の部分にもアーチに似た装飾があります。塔の高さは51.46メートル。県庁よりほんのわずか高さが上回っています。設計段階では県庁より低かったのを、当時の税関長が高くさせたという話も伝わっています。税関は国の機間。地方の出先である県庁より低いのはけしからんというわけです。海岸通りからみると、建物の右側に塔が建っているように見えますが、海岸通りから税関の建物を右に折れ、新港橋の方から見ると、建物の中央に塔が建っています。海の方からの景観が正面というわけです。それにしてもなぜ、税関の建物がイスラム建築なのでしょう。不思議な気もします。でも、貿易の仕事とかかわりの深い税関としては、なんとなくシルクロードのイメージが有るイスラム建築は、意外にミスマッチではないと思います。設計は国会議事堂を設計した大蔵省営繕管財局の技師、吉武東里でした。

 さて、海岸通りの税関の角を左に曲がりましょう。ちょうど横浜公園に戻るような感じになります。左手には県庁のキングの塔を後ろから見ることができ、道路を隔てて右側の県庁の新庁舎と回廊でつながれています。少し歩くと次の角に高い時計台の塔が見えますが、これがジャックの塔、横浜開港記念会館です。この場所には明治7年に町会所(まちかいしょ)が造られました。これは当時の貿易商たちが事務所や集会所のために造ったものです。貿易商たちのお金で建てられた町会所は横浜市に寄贈されましたが、明治39年には火事で焼けてしまいます。この再建のために当時の横浜の最大の資産家である原家と茂木家が中心となって寄付を集め開港50周年の大正6年に再建されました。これが現在の開港記念会館です。町会所にもあった時計台が新しい建物にも引き継がれました。設計はコンペにより当時の東京市技師福田重義の当選作を基に、横浜市技師山田七五郎が実施設計を行いました。この塔は3つの塔の中で一番古く、唯一関東大震災を経験しています。震災で内部が焼けましたが建物本体は無事で、昭和2年に修復されました。鉄筋鉄骨コンクリート造りながら、外壁にレンガを使い、きらびやかな建物になっています。中には大きなホールがあり、戦前は音楽会や講演会など、多くの催しが行われ、市民文化に貢献しました。まさに町会所の目的が受け継がれていました。終戦後GHQに接収されますが、この建物の2階階段ホールにあるステンドグラス(ボーハタン号)に描かれている星条旗が戦争中でもそのままであったことにGHQの幹部が感動し、内部は改造されずにもとのままの姿で使われたというエピソードも残っています。震災からの修復のときに屋根の部分は平屋根に改造されましたが、平成2年に建築当初の屋根の形とドームが復元されました。今では周囲に高い建物が建ち、塔は遠くからは目立たなくなっていますが、横浜では珍しいイギリス風の建物は普通の人でも入ることができる優雅で気さくな建物として今でも使われつづけています。残念ながら現在は内部工事のために閉館中です。

 急ぎ足で3つの建物を見てきました。ところで、立派な塔屋やドームのついた建物でなくても、さりげなく存在している建物もあります。最初に出てきた日本大通りの右側に三井物産ビルがあります。どうと言うこともないビルですが、これは日本初の鉄筋コンクリートのビルです。明治44年に竣工し、関東大震災を生き抜き、現役で活躍しているビルです。また、建てかえられても元のイメージを残している建物も有ります。関内から馬車道をとおり、本町通りとの交差点に大きな歩道橋がありますが、その左手奥にあずき色をした非常に大きな建物があります。昔の生糸検査所、その後農林水産合同庁舎として使われていました。この建物は建てかえられても以前とほとんど同じ雰囲気であり、現在は横浜第2合同庁舎になっています。古い建物を最初とまったく違った目的に使用している例も少なくありません。その代表的なものが神奈川県立歴史博物館です。馬車道の出口の近くにあり、立派なドームを持つこの建物は明治37年に竣工しました。当時は横浜正金銀行(現在の東京三菱銀行)の本店として使用されていましたが昭和42年、博物館として使用されるようになりました。

 建物は生きています。古い建物でも、いつまでも大事に使いつづけること、そのことにより、いつまでも町と調和した建物でいられることでしょう。横浜にはそのような建物がたくさんあります。休みの日にでもそのような建物を探しに横浜を散歩してみませんか。

参考文献
  朝日新聞横浜支局編 残照−神奈川の近代建築、有隣堂
  吉田鋼市著 ヨコハマ建築慕情、鹿島出版会
  吉田鋼市・久我万里子著 ヨコハマ建築・都市物語、丸善
  河合正一著 かながわの近代建築、かもめ文庫
  甦る「ジャックの塔」、横浜市
  横浜・都市の建築の100年、横浜市

追記

2003年8月11日

 関内の古い建物の姿も大きく変わっていきます。日本大通は車がほとんど車道でキャッチボールが出来るほど広い道ですが、歩道を広げる工事が終わり、広々とした歩道はのんびり歩くことが出来ます。横浜税関も工事中ですが、まもなく増築工事が終わります。今の建物の中に新館を建築するような感じであり、クイーンの搭の姿は変わらずにあります。開港記念館の工事も終わり、以前同様、公会堂として使用されています。最近は、建物を立て替えるときにも横浜地方裁判所のように、古い建物の雰囲気を復元して建て替えるケースが増えています。また、横浜都市発展記念館のように、古い建物(横浜市外電話局)を改修して、そのまま新しい用途で活用するケースもあります。建物の構造そのものの寿命が長いものに関しては、改修してでも新たな機能で建物をよみがえらせて欲しいものです。
 なお、下のアルバムのコメントは2003年9月現在のものです。

アルバム

県庁(キングの搭) 神奈川県庁。キングの搭です。
(1999年9月1日撮影)
横浜税関(クイーンの搭) 横浜税関。クイーンの搭です。増築工事が行われていますが、この写真は増築工事前の姿です。
(1999年9月1日撮影)
横浜開港記念会館(ジャックの搭)1 横浜開港記念会館。(ジャックの搭)
(1999年9月1日撮影)
横浜開港記念会館(ジャックの搭)2 反対側からの眺めです。
(1999年9月1日撮影)
3搭揃い踏み これらの3つの搭を同時に見ることが出来る場所はそれほど多くありません。特にジャックの搭は海から入ったところにあり、ビルの陰になってしまいます。この写真は大桟橋の入口から撮った物です。
(2003年5月18日撮影)
3搭揃い踏み(拡大図) 上の写真を拡大したもの。キングの搭の右側にかすかにジャックの搭の上部が見えます。(2003年5月18日撮影)
横浜三井物産ビル 三井物産横浜ビル。日本大通に面した玄関を中心に左右対称のビルになっていますが、向かって左側が明治44年の建築、右側は昭和2年の建築です。この写真に見えるのは明治44年建てられた側です。
(2003年5月1日撮影)
横浜第2合同庁舎 横浜第2合同庁舎。この建物は平成5年に建て替えられたものですが、デザインは以前の生糸検査所とほとんど同じになっています。後ろに見えるのが新館です。
(2003年5月1日撮影)
横浜第2合同庁舎(反対側から) 同じ建物を万国橋の方向に撮影したものです。馬車道と本町通の交差点には大きな歩道橋があったのですが、いつのまにかなくなっていました。この写真は歩道橋から撮影したもので、このアングルから写真をとることは出来なくなりました。歩道橋の代わりに、交差点の下にみなとみらい線の北仲駅ができるようです。
(1999年9月1日撮影)
県立歴史博物館 県立歴史博物館。こちら側の入口は以前の雰囲気をそのまま残しています。(2003年5月1日撮影)
横浜海洋ビル 横浜海洋ビル。横浜公園から日本大通を進んだ突き当たりにあります。
(2003年5月1日撮影)
横浜郵船ビル 横浜郵船ビル。海岸通の中でもひときわ長いビルです。日本郵船の事務所として使われていますが、1階部分は2003年6月より日本郵船歴史博物館として公開されています。
(1999年9月1日撮影)
東京三菱銀行 東京三菱銀行。以前の第百銀行です。すでに営業はしておらず、ビルも建て替えられていますが、外壁は復元されるようです。
(1999年9月1日)
富士銀行 富士銀行。この建物もすでに銀行としての営業を終えています。横浜市が買い取り、「横浜市市民活動共同オフィス」として利用されることになりました。
(1999年9月1日撮影)
旧第一銀行 この建物は旧第一銀行でした。本町通が弁天橋の方向に曲がっている角に建っています。左後ろにある横浜アイランドタワーの一部として復元、保存されています。
(2003年5月1日撮影)
横浜銀行協会 銀行は重厚な建物で出来ていて、長らく使われていましたが、ここ数年の支店統廃合で歴史的な建物が銀行としては使われなくなりました。この建物は横浜銀行協会の建物です。昭和11年の建築ですが、現役です。
(1999年9月1日撮影)

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(c) 2003 Masanori Kono