←前へ 次へ→ 目次へ↑

横浜ちょっと昔のちょっといい話

横浜の川・・・大岡川周辺

2001年3月18日

  寒かった冬も終わり、だんだん水ぬるむ頃になりました。仙台と言えば広瀬川、古都京都は加茂川、東京は、はるのうららの隅田川と言った具合に、町の中心には川が流れていますね。横浜の中心部には広い河川敷や土手があるような川はありません。でも、そこにはささやかながらも昔から川の風景がありました。今日はそんな川の話をしていきましょう。

 横浜には何本かの川がありますが、昔から栄えていた関内地区を通る川は大岡川です。大岡川は磯子区の円海山あたりを源流にして、上大岡を通ります。その後京急南太田駅付近でY字型に2つに分かれ、北の流れは桜木町駅のあたり、ちょうど日本丸の近くで海に出ます。南の流れは中村川と名前を変え、石川町から元町に沿って流れ、山下町から海に出ます。実は、この2つの流れで囲まれた地域は昔は陸地でなく、大岡川の河口の入江でした。川の土砂がたまり、浅い海になっていたので、ここを埋め立て、新たな農地ができました。埋め立てた人の名前をとってここは吉田新田と呼ばれました。大岡川と中村川は吉田新田の外側の部分になったわけです。この新田の中にも吉田川、新吉田川などの川が流れていました。昭和47年に市営地下鉄の最初の区間、伊勢佐木長者町から上大岡まで開通する時、地下鉄が吉田川の下を通ることになり、川は埋め立てられてしまいました。大通り公園は長く細い公園ですが、昔の吉田川の流れそのものです。ですから、大通り公園を横切る道は以前は橋だったわけで、地名に橋の名前が残っています。吉田川が埋め立てられたのと同じ時代に、大岡川と中村川を根岸線に沿ってつないでいた、派大岡川も高速道路になってしまいました。この川は、今の根岸線東側のいわゆる「関内」と「関外」を隔てるために作られた運河でした。今の関内駅北口にある吉田橋は関内に入る関所のような役目をしていたこともあります。また、この橋は日本初のかねの橋ということでも有名です。現在は明治時代と同じデザインの欄干がついていますが、残念ながら下を通るのは水ではなく、車の流れです。

 小さい頃、バスで磯子区の八幡橋から滝頭の方を通ることがよくあったのですが、道沿いに流れているのはどうしても川と思えませんでした。近所にあった排水溝(昔は道に沿って落ちたら怪我するような大きさの溝があったのです。下水の整備にともなってほとんど姿を消してしまいました)の規模の大きいものとしかみえませんでした。黒く濁った水のせいでもありますが、両岸はコンクリートで固められた護岸だったので川と見えなかったのでしょう。その川は、掘割川という名前のとおり、人工的に作られた川です。明治7年に完成しました。当時は市電もなく、磯子や金沢からの農作物や魚を横浜まで運ぶのに、船を使っていましたが、本牧を通ると海が荒れることがあり、この掘割川から中村川を通ることにより、小さな船でも安全に荷物を運べるようになったのです。

 ところで、桜木町から高島町の間、線路に沿って国道16号線が走っていますが、それと完全に平行してもう一本16号線のバイパスが通っています。ここには「花咲橋」「雪見橋」というバス停があります。この16号のバイパス、桜川新道と呼ばれていますが、以前は桜川という川だったのです。高島町付近を走る帷子川支流の石崎川と大岡川とを結ぶ川でした。戦後すぐの頃、この川に水が流れなくなり、ここに住む人がでてきました。それを整理して道路にしたのです。ここが川だったというのはなかなか信じられません。

 ところで、桜木町から高島町の間、線路に沿って国道16号線が走っていますが、それと完全に平行してもう一本16号線のバイパスが通っています。ここには「花咲橋」「雪見橋」というバス停があります。この16号のバイパス、桜川新道と呼ばれていますが、以前は桜川という川だったのです。高島町付近を走る帷子川支流の石崎川と大岡川とを結ぶ川でした。戦後すぐの頃、この川に水が流れなくなり、ここに住む人がでてきました。それを整理して道路にしたのです。ここが川だったというのはなかなか信じられません。

 大きな川で最近できたものがあります。と言っても見ることはできません。大岡川分水路、というのがその川の名前です。集中豪雨のような大雨が降ると、下流では洪水の危険があります。川幅を広げたり、護岸工事をしても耐えられる雨の量には限度があります。川の途中からバイパスを作り水を別の経路に逃がすのが分水路の役目です。大岡川分水路は日野公園墓地付近や笹下郵便局付近から地下のトンネルを通って磯子駅あたりの海にでる水路です。大雨洪水注意報がでると、川の水門が閉じられ、上流からの流れはすべて分水路に流れます。1年に30〜40回くらい水門が閉じられるということですので意外に多く使われています。この分水路は昭和55年に開通しました。同じように帷子川にも分水路があります。

 ここで横浜での変わった橋をご紹介しましょう。地下鉄弘明寺駅から弘明寺に向かって商店街が続いています。昔ながらの商店街で、雨が降っても大丈夫なように、大きなアーケードに覆われています。この商店街のちょうど中央のあたりを大岡川が横切っていて、観音橋がかかっていますが、この橋の上でもアーケードは途切れません。つまり、この橋は屋根がついた橋というわけです。今は工事中ですが、一度歩いてみてはいかがでしょうか。

 中村川から元町の堀川にかけては残念ながら川の上を高速道路が通っています。久しぶりに南太田の中村川と大岡川の合流点をあるいて見ましたが、大きく様子が変わってしまっていました。高速道路の橋脚は鬱陶しいし、影になって水面が暗くなっています。川の向かい側を広々と見通すこともできません。みなとみらい地区にしても、山下公園や八景島にしても、横浜の海はここ20年くらいのうちに非常に美しく整備されてきました。川も、水そのものは確かにきれいになっています。でも高速道路に完全に覆われてしまったり、埋め立てられてしまったり、道路になったりしてしまいました。大岡川プロムナードの桜並木など、海辺以外に水に親しめる空間として活用されている場所もあります。大岡川の下流では柵にフラワーポットがかけられ、小さな花が咲いています。まわりに高いビルも建ち、昔ほど開放的な空間ではないにしろ、せっかくの川辺、美しく保ちつづけてほしい、と川辺をぶらぶら歩いていて感じました。

参考文献
神奈川県高校地理部会編:かながわの川(上) 神奈川新聞社

アルバム

桜川新道 桜川新道。むこうに見える橋は紅葉橋です。
(2003年5月1日撮影)
弘明寺商店街の観音橋 弘明寺商店街の観音橋。(2003年5月1日撮影)
大岡川の桜 大岡川に沿って桜が大変美しく咲いています。観音橋から撮った風景です。
(2004年4月3日撮影)
山王橋の桜 見える橋は山王橋です。この付近で大岡川と中村川が分岐しますが、分岐点は高速道路の下です。
(2004年4月3日撮影)
京急と桜 この先日ノ出町付近まで大岡川は京急の高架線と平行して流れます。(2004年4月3日)
河口近くの大岡川 河口近くの大岡川。(2004年4月3日撮影)
堀川と谷戸橋 大岡川は南大田付近で分岐して中村川、JR関内駅付近からは堀川と名前を変えますが、中村川、堀川は上を高速道路が通り、暗くなってしまいました。写真は堀側にかかる谷戸橋(2003年5月1日撮影)

←前へ 次へ→ 目次へ↑

(c) 2003 Masanori Kono