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横浜ちょっと昔のちょっといい話

横浜ショッピングいろいろ

2001年5月26日

 いま、横浜でショッピングするといえば皆さんはどこにいきますか。普段の買い物も、近くの商店からスーパー。そしてコンビニへと世の中が変わってきました。もちろん、元気な商店街もたくさん残っています。松原商店街なんて、昔から有名でしたし、今でも遠くからでも買い物にくる人が多い、元祖価格破壊のような商店街ですね。そうでなく、ちょっとおしゃれな買い物のできるところのデパート、ショッピングセンターについて少し書いていってみましょう。

 昔は買い物といえば伊勢佐木町でした。ここには入九の屋号(「入」の文字の下に「九」が書いてある)で親しまれた野沢屋や松屋というデパートがありました。矢印で回数を示すエレベータは昭和40年代でもすでに年代ものの感じで珍しいものでした。野沢屋は関東大震災前から伊勢佐木町の今の位置・・松坂屋の位置にありました。横浜のデパートのルーツというべきもので、ベイスターズやゆずといった横浜的なサインもぴったりマッチしています。もうひとつ忘れられないのが有隣堂です。この店も震災前から今の位置にあります。いまや大きな書店はいくつかありますが、以前は伊勢佐木町のお店が一番大きく、本を探すときにはここにいきました。今でも変わらない、中二階の構造は子供の目からもとてもしゃれていたのを覚えています。昔は地下にレストランがありましたが、いつのまにかなくなってしまいました。今は隣接して文具館がありますが、一時期、馬車道に有隣ファボリという、文具を扱うお店がありました。

 伊勢佐木町にモールができたのは昭和53年のことです。それまでは狭い歩道に屋根がある普通の商店街でした。モール化の当時は、そのような例がなく、「消防車などの緊急車両はどうする」「歩行者専用と言ってもあくまで、車道は存在する・・・」など、当時の法規と調整が大変だったということです。ですから、ちょっとデザイン的に面白くないモールではあります。3丁目以降は後にモール化されたのですが、そのころになると車道との境をカーブさせたり、いろいろなことができました。また、モール化とともにそれまであった屋根をとってしまいました。雨の日はどうするのかという意見など、これも賛否両論ありましたが、結果として広い空が見えて気持ちのよいショッピングモールになりました。

 長らく横浜でのお買い物といえば、横浜駅西口の高島屋という時代が続きました。高島屋デパートの前身の高島屋ストアができたのが昭和31年、続いて横浜駅ビル、ダイヤモンド地下街とができ、西口にいけば何でもそろうようになりました。高島屋ストアができたとき、相鉄横浜駅との間には名品街がありました。ちょうど今のジョイナスの1階、五番街に抜けるのと同じような雰囲気でした。入り口の果物屋さん、出口付近のおもちゃ屋さんは強烈な印象があるのですが、名品街の時代から同じように存在しているのではないでしょうか。岡田屋ができて、名品街がジョイナスになり、ダイヤモンド地下街が伸張して三越とつながったのが昭和48年、基本的に今の西口の構造はこのときに完成しました。ちなみに何もなかった西口がこれだけの商業地域になったのは相鉄の力が非常に大きくかかわっています。相鉄がマスタープランを作り、デパートを誘致しました。デパートもいろいろなところにお願いしましたが、なかなか良い返事がもらえず、ようやく大阪の高島屋が進出を決めたという経緯があります。

 そのころ東口はスカイビルが孤軍奮闘しており、買い物をしに東口にいくという発想はありませんでした。それが変わったのは昭和55年のことです。この時、横浜駅の自由通路完成とあわせて、東口駅ビルルミネと地下街ポルタができました。規模は西口よりも大分小さいですが、新しく、ゆったりしていて、とても買い物がしやすく思いました。私自身、横浜駅周辺で本を買うときも、確かに西口の有隣堂の方が品揃えは多いのですが、通路がゆったりしていて本が探しやすいルミネの有隣堂に行くことが多かったように思います。ポルタの入り口には長らく「バケツ」のオブジェがありました。(見たことのない人には何のことがわからないとは思いますが)最初のうちはよく動いていて、下に水がはねて困るほどでしたが、だんだん動きも少なくなり、最近はバケツ自身なくなってしまいました。

 実は、ポルタの開業とそごうの開業は5年の差があります。ポルタが開業したときは、今のそごうの入り口のあたりはまだ以前のままのバスターミナルと、その奥にはスカイビルのプールがありました。そごうはともかく大きなデパートです。中央のエスカレーターが上り下り2本ずつ(途中までは上りは3本)あるのにびっくりしました。(高島屋もあとで同じようになりました。)今でもそうですが、できたころは入口のからくり時計は大人気。バブルのころには、そごう北側の部分に某デパートがくるという計画もあったようですが、今のところその気配はありません。

 ランドマークタワーができたのは平成5年です。ランドマークタワーは有名ですが、そのころから私は隣のランドマークプラザによく行きました。5階まで吹き抜けのショッピングセンターはあまり例がなく、お店もしゃれていて今までのお店とは雰囲気が違っていました。横浜駅とは違い、日本丸の横でお弁当を食べて、本屋に行って、ぶらぶらして・・・というように、買い物だけが目的でなく、かと言って、ただ遊びに行くのが目的でなく、買い物ついでにちょっと遊んでいけるというのはとても楽しく思います。1階でイベントが行われているのを下に行って見るもよし、途中の階からのぞくのもよし。それまでのデパートでは、これだけの遊びがあるようなモールはなく、時代が変わってきたのを感じます。

 最近は東戸塚駅前のオーロラシティーやセンター北のモザイクモールなど、個性的なショッピングセンターが増えており、必ずしも横浜駅に出なくてもいろいろなものがそろうし、単に買い物だけではなく、楽しみながら買い物ができるようになりました。でも、ちょっとよそいきの格好をして、「デパート」に行っておもちゃ売り場やレストランで食事をする・・っていう幼いころのちょっとした楽しみも懐かしく思い出します。

アルバム

松坂屋 「ゆず」「ベイスターズ」の電飾がある松坂屋。2003年の紅白歌合戦はここからゆずの歌声が中継されました
(2003年5月1日撮影)
松坂屋のエレベータ 回転式のエレベータ表示。
(2003年5月1日撮影)
松坂屋の建物の装飾 松坂屋の建物は凝った装飾があります。
(2003年5月1日撮影)
ランドマークプラザの吹き抜け ランドマークプラザの吹き抜け。1階から5階まで吹き抜けており、イベントスペースを上から見ることもできます。屋根は天井から外の光が降り注ぎとても明るい雰囲気です。
(2003年5月1日撮影)

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(c) 2003 Masanori Kono