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横浜ちょっと昔のちょっといい話

横浜の水はじめて物語

2001年7月28日

 暑い日が続きます。こんなときには冷たいビール、それともアイスクリーム?それとも水道からでる豊富な水で水浴びもいいですね。これらは横浜が発祥の地のものです。というわけで、今回は横浜発祥のものをいくつか集めてみました。

 まずは夏の定番、ビールから行きましょう。開港してから、ビールは輸入されていましたが、とても高価なものでした。日本で初めてビールが作られたのはコープランドと言う人が山手の天沼に工場を作り、「天沼のビアザケ」として売り出したのが発祥だということになっています。確かにコープランドは非常に早い時期にビール工場を作っていますが、実はその少し前、明治2年に山手46番地にできた「ジャパンブルワリー」が日本のビール工場の最初であるという説もあります。この時期にヘフトという人もビールの醸造所を作っています。コープランドの工場は明治17年に閉鎖されましたが、同じ場所に「ジャパンブルワリー」という名前で再建され、キリンビールになりました。この工場が麒麟麦酒株式会社になったのは明治40年のことです。

 ビールとくればアイスクリーム(ってあまり関係ありませんが)。日本で一番最初にアイスクリームが売られたのは明治2年(1869年)のことです。町田房蔵が馬車道通常盤町5丁目で「氷水店」を開いてそこで売ったのが最初です。このときの氷水は今のかき氷かシャーベットのようなものだったようですが、ともかく一般の人がアイスクリームを買えるようになりました。ところで、その頃、氷はどのように入手したのでしょうか。最初はボストンから氷を輸入していました。当時は喜望峰経由で6ヶ月もかかって横浜に来たため非常に高価だったようです。1865年にはこの様に入手した氷が売られたと同時にアイスクリームサロンができています。ですから、横浜のアイスクリームの歴史はもう少し手前だということになります。また、アメリカからの氷は大変高価になってしまうため、国産の氷の入手を考えた人もいました。

 日本人としては中川嘉兵衛が各地から氷をもってこようとしていましたが、ようやく明治4年になって函館から氷を持ってくることに成功しました。また、機械での製氷も明治3年頃には始められていたようです。そうしてみると、町田房蔵が初めて売ったアイスクリームは、アメリカの氷を使っていた舶来品ということになりそうですね。

 水といえば水道です。いまや、夏には井戸の水のほうが冷たくておいしそうですが、井戸がない場所では生活に使う水汲みも大変でした。特に横浜は埋立地であり、良い井戸がありませんでした。日本で最初の近代水道も横浜からです。イギリス人H.S.パーマーにより、日本初の近代水道が作られました。この水道は、鉄管を使い、はるばる、道志川から水を持ってきました。明治20年のことです。しかし、明治6年にできた横浜上水というのが横浜の水道のルーツです。これは多摩川を水源として、途中までは在来の水路、そこからは木樋を使って配水するものでした。しかし、翌明治7年には水道会社は経営に行き詰まり、県の管理になりました。その後2回にわたり、木樋の改修や一部鉄管化などを行い何とかパーマーの近代水道にバトンを渡すことができました。横浜上水は近代水道とは言えないけれど、パーマーの時代までのつなぎの水道としての役割を果たしました。ところで、パーマーの時代になっても、まだ、個々の家に水道がきていたわけではなく、共同水道として、水栓が地域にあり、そこまでは水汲みをする必要がありました。「勝列庵」の入り口には当時の水栓がありますので一度見てみてはいかがでしょうか。

 上水道があれば下水道も必要です。1871年には早くもプラントンにより、居留地の下水が陶管により実現されています。近代下水道は横浜と神戸がほぼ同時期に完成させています。1887年には日本人三田善太郎により、居留地の下水の作り変えおよび、馬車道などへの導入が進められました。このときは陶管ではなく、煉瓦が使われました。開港広場では当時の下水管を見ることができます。居留地以外の近代下水も横浜が日本で一番最初です。

 夏は海水浴も良いですね。別に海水浴場などなくたって、昔から日本人だって海で泳いでいたわけで、日本の海水浴の発祥などというのは無意味な議論かもしれません。一般的に日本の海水浴場は明治18年に大磯で初代軍医総監であった松本順が開いたことになっています。しかし、実は横浜ではもっと以前、明治8年ころから海水浴が行われていました。泳いでいたのは居留地にいた外国人たちです。場所としてポピュラーだったのは富岡海岸でした。ローマ字で有名なヘボン博士も富岡に泳ぎに来ています。居留地の人たちは富岡のお寺などを別荘のように借りていましたが、明治13年には海宝楼という旅館も開業しており、一般の人も海水浴を楽しむことができるようになりました。

 今回はちょっと涼しい話題で明治初期の横浜にトリップしてみました。これから夏本番ですが、飲みすぎ、食べ過ぎ、海の事故に気をつけて楽しい夏をお過ごしください。

参考文献:横浜開港資料館 「横浜もののはじめ考」

アルバム

勝烈庵の水道 勝烈庵の水道。これは本店のものです。
(1998年5月23日撮影)
太陽の母子像 アイスクリーム発祥の地を記念して建てられたアイスクリームモニュメント“太陽の母子像”
(2003年5月1日撮影)
プラントン像 横浜公園内のプラントン像。彼は下水道だけでなく、横浜公園など、近代的な町づくりに大きく貢献しました。
(2003年4月12日撮影)

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(c) 2003 Masanori Kono