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横浜ちょっと昔のちょっといい話

横浜の現代建築

2002年1月26日

 神奈川県庁のキング、税関のクイーン、開港記念会館のジャックに代表されるように、横浜には古い建物が多くあります。最近は、インターコンチネンタルホテルやけいゆう病院など、ちょっと変わった形の建物も多くできています。今日お話するのは、古くもなく、新しくもない、時代で言えば戦後建てられた建物についてです。当時は今のみなとみらい地区の建物と同じように、ひときわ目立つ、立派な建築物だったのですが、周囲に高い建物が出来たり、ちょっと古ぼけてきて色あせてきているようにも見えます。大正や昭和の初期に建てられたものに比べて、歴史的に守られているわけではないですが、何気なく、町に溶け込んで風景を作っています。それでは見ていきましょう。

 関内駅南口を出て目の前にあるのは、市庁舎です。今では駅前の一等地に建っていますが、建物が完成したのは昭和34年。まだ、その時には関内駅もありませんでした。関内駅のあたりには川が流れていて、市庁舎はその川のほとりに建っていました。四角く大きな建物ながら、冷たくなく、どことなく品位があるこの建物は完成してから40年以上たっても、その古さを感じることなく建っています。

 市庁舎といえば、次にくるのは県庁舎です。県庁といえば、キングの搭でおなじみの本庁舎が有名ですが、昭和41年に完成した新庁舎は13階建て。当時としては高層建築で、しかも、非常にシンプルな構造をした建物です。当時のエピソードとして、完成祝賀式に1600万円の県の予算を組んでいましたが、議会などの反対にあい、簡素な式典にしたということがあります。で、余ったお金で県内の小学生に下敷きが配られました。実は、私もこの下敷きを貰いました。確か表には県庁新庁舎の写真が、裏には、神奈川県民歌「光あらたに」が印刷されていたような記憶があります。この下敷き、印刷されている方の面にコーティングなどしていなかったので、爪でこすると印刷が取れてしまいました。だんだんと透明下敷きにして使っていた人もいました。この下敷きのおかげで、私は県庁舎というと新庁舎のイメージが強くあります。

 県庁から港の方に歩いていくと、開港広場に面した交差点の一角にあるのがシルクセンターです。この建物ができたのは昭和34年。横浜開港100周年記念事業により建てられました。場所は英一番館のあった場所。外国人居留地として最初に使われた伝統ある場所です。この建物が建った頃はまだ米軍が接収しているところが近辺に多くあった状況でした。シルクセンターは4階までは実に重厚な建物です。戦前の建物のような装飾はないにしろ、太い梁と柱はその存在感を主張しています。それに対して空中に浮かんでいるように軽い感じで上層階があります。実はこの部分はホテルになっていました。山下公園を目前に見ることができるホテルとして当時人気の高級ホテルでしたが、昭和57年に閉鎖されてしまいました。長らく使われてこなかったこの部分は、平成10年に「SOHOヨコハマインキュベーションセンター」という名のSOHOや次世代起業家達のための最先端支援センターとして生まれ変わりました。明治の時代に日本の新たな輸出産業として脚光を浴びた生糸、それに対して新しい時代の産業の発信地にシルクセンターは変わっていっています。4階までの低層には今でもシルク博物館など、絹に関係ある施設、団体が入っています。

 シルクセンターの隣には産貿センターと県民ホールがあります。県民ホールが昭和49年、産貿センターは昭和55年と、今まで見てきた建物にべたら少し新しい建物です。これらの2つのビルを取り囲むように広場ができていますが、これらのビルの計画段階で、土地の空間をまとめ、ひとつの広場のようにしたのです。県民ホールは当時のホールとしては第一級の収容人数を誇るものでした。以来多くの演奏会が行われています。

 音楽ホールと言えば県立音楽堂もありますね。音楽堂は昭和29年に完成。音の響きとしてはいまでも県内で一、二位を争うのホールですし、2階席がない、1フロアの客席はどの席でもすばらしい音の響きを聞くことができます。ただし、座席の前後が狭かったり、楽屋が狭いのはやはり昔のホールの感じがします。消防法の関係で一時は取り壊しも検討されましたが、昭和63年に改修され、今でも多くのコンサートが行われています。隣接の県立図書館と一体化された建物の設計ですが、昭和29年という時代としてはかなりモダンなデザインではないでしょうか。この一角には昭和37年に青少年センター、40年に神奈川婦人会館、翌年青少年会館ができています。駐車場を中心にこれらの建物が統一感をもってありますが、それもそのはず、これら全て同じ設計者によるものです。戦後まもなくの時代から文化センターとしての役割を果たしてきた建物群は、青少年センターにしても、古い、というよりどこか懐かしい時代の感じがします。実験室は中学の時の実験室そのままだし、プラネタリウムは小学校の時に見学にきたのとまったく変わっていません。

 横浜地方・簡易裁判所や横浜情報文化センター(旧横浜商工奨励館)、さらには第二合同庁舎など、最近の建物は、そこに以前あった建物と同じデザインの建物を低層につくり、その上部や奥に高層棟を作るというのがはやっています。低層棟の建物は大正末期から昭和初期に作られたもので、確かにその場所に長い間存在していたものです。今回ご紹介した建物はそれらの強烈な個性やきらびやかなデザインを持っているものではありません。おそらく紅葉丘の建物群もそう遠くない将来再開発されてしまうでしょう。そして、そのときには建物の記憶だけ残ることになるのでしょうか。

参考文献:吉田鋼市 「ヨコハマ建築案内1950−1994」鹿島出版会

追記

2004年4月16日

青少年センターは平成15年3月に閉鎖されました。

アルバム

横浜市庁舎 横浜市庁舎
(2003年5月1日撮影)
神奈川県庁新庁舎 神奈川県庁新庁舎
(2003年5月1日撮影)
シルクセンター シルクセンター。低層階と高層階はまるで別物のようです。
(2002年5月1日撮影)
県立音楽堂 県立音楽堂
(2003年5月1日撮影)

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(c) 2003 Masanori Kono