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横浜ちょっと昔のちょっといい話

横浜の放送局

2002年11月30日

 横浜というのは市としては日本一の大都市ですが、東京や「首都圏」というくくりになってしまうとどうしても独自性を出すことが出来なくなります。テレビとかラジオでも同じで、関東地方は東京の放送局がカバーしており、東京の人も埼玉の人も同じ放送を見ることになります。でも350万都市の横浜に全く放送局が無いわけではなく、特色あるローカル放送局は30年ほど近く前からありました。今日はそんな放送局の思い出話です。

 今でもそうですが、関東ではNHKのFM放送が比較的早い時期に県域放送となりました。磯子区の円海山の上にはNHKFMのアンテナが建っています。ここは我が家から近いところにあるので、東京のFM局があまりきれいに入らないラジカセでも横浜局は非常にきれいに聴くことが出来ました。NHK横浜局からFM放送は昭和45年に開始されました。

 私が中学に入って、ラジオを聞くようになったのは、それから2年後くらいですので、今にして思うと出来たてほやほやの放送局だったのですね。FM放送はほとんど東京の局と同じ放送でしたが、平日の夕方6:00から7:00と、土曜の午後3:00から3時間、各局のローカル番組をやっていました。平日夕方の番組「暮らしの話題」はその名の通り、神奈川県の地域ニュース、情報などから構成されていました。

 土曜の午後のリクエストコーナー「横浜FMリクエストアワー」は3時間、ひたすら邦楽、洋楽のリクエストをかけるという番組、いわゆるDJ番組で、公開放送でした。私が初めてリクエストはがきを読んでもらったのもこの番組です。公開放送の会場に何回か行ったことがあります。中区本町にNHK横浜放送局があります。今でも台風中継などで出てくることがありますね。当時は3階にオープンスタジオがありました。なぜか後ろの方はカーテンで仕切られていて奥の方は倉庫のようになっていた気がします。100人近く入る会場だったでしょうか。3時間の長丁場ですから出入り自由。最初の頃はあまりゲストもいなくて、ゲストが来てもレコードをかけておしゃべりしていたような記憶があります。

 会場リクエストの時間があったのですが、これがすごい。単にリクエスト曲を言うだけではなく、リクエストした人は3階のスタジオから2階のレコード室に行き、自分でレコードを探して、持ってきて、早く到着した人からリクエストがかかると言う仕掛けでした。私もチャレンジしたのですが、早く到着するも何も・・かけたいレコードはNHKが持っておらず、あえなく敗退。

 かぐや姫の「神田川」がヒットしたのは何時の頃でしたでしょうか。今では信じられませんが当時この曲はNHKではかけられませんでした。放送禁止になっていたわけではないですが、2番の歌詞の「クレパス」が商標だと言う理由です。ところが当時「横浜からの電波は渋谷に届かない」ということでこの番組では神田川もかけてしまいました。もっとも2番になるとナレーションをかぶせて極力「クレパス」が聞こえないようにしていましたが・・・。また、なぜだか当時NHKテレビでやっていた「新八犬伝のテーマ」にリクエストが集中して、渋谷からテープを持ってきてかけたこともありましたっけ。

 当時DJをやっていたアナウンサーは「ゴンベさん」なるニックネームがついていたけれどれっきとした局アナだった久留アナウンサーと、磯浦アナウンサー。ひと月ごとに交代して担当していました。久留アナウンサーは何年かして移動でNHKの甲府局に行ったはずなのですが、その後TVKのニュースに出ていましたのを見たことがあります。今はどうされているのでしょうか。磯浦アナウンサーはその後東京や室蘭の放送局に勤務しましたが、インターネットで検索すると、本を出されたり大学の講師をやられたり、今でも活躍されているようです。

 横浜のテレビ局というと、TVK(テレビ神奈川)ですね。開局から今と同じ山下町に本社・スタジオがあります。開局は72年4月。69年から13チャンネル以上のUHFが割り当てられるようになったので、その初期の頃です。関東ではすでに1から12チャンネルのVHFはいっぱいの状態でした。その頃のテレビはもちろんチャンネルをガチャガチャと「回す」テレビでしたが12チャンネルまでしかなく、UHFを見るためにはUHFチューナーという別の機械が必要でした。チャンネルも「がちゃがちゃ」ではなく、ラジオのようにゆっくりとダイヤルを回しました。え、今ではラジオもダイヤルを回さない?そうですね。もちろんUHFのアンテナを別につけなければなりません。私の住んでいる地域はTVKのアンテナがある鶴見区から遠く、しかもアンテナの方向の北側がちょっと高くなっているので、TVKの映りはあまりよくありません。ですから、TVKの番組もそんなによく見ていたわけではないのです。

 テレビ放送は、たいてい系列があって、東京のキー局の番組と地元の番組で構成されていますが、横浜の放送局であるTVKの場合は、東京の放送局をネットして同じ番組を放送するわけにはいきません。そのために基本的にほとんどの番組は自分のところで、制作しています。TVKの番組で印象深いのは、「ヤングインパルス」でした。スタジオや公開の生演奏でフォークソングなどの日本の音楽を中心の番組でした。デビュー間もないミュージシャンや、「1曲歌えば終わり」という民放の歌番組に出ないようなアーティストもよく出ていました。最近は渋い役が多いですが、当時サングラスをとることがなかったダウンタウンブギウギバンドの宇崎竜童さんがメジャーデビュー前にサングラスをかけないで歌っているなどという映像もありました。先日NHKBSで当時のフォークの番組があったのですが、さだまさしさん、山本コータローさん、ダ・カーポなどの当時のヤングインパルスの映像が紹介されていました。今では大変貴重な映像がTVKの倉庫に眠っているのではないでしょうか。一挙大公開でもしてほしいと思います。

 時代は下って、民放のFM局も多局化になり、横浜にも放送局ができました。FM横浜の開局は60年12月。当時FM東京と、そこからネットしているFM大阪、FM愛知、FM福岡以外の新しいFM局は別のネットを組んでいましたが、FM横浜は最初から独自の番組を製作していました。「MORE MUSIC LESS TALK」という路線でトークというよりアメリカのFM局のようなナレーションとノンストップミュージックが特徴でした。横浜だけでなく、東京などの首都圏からのリスナーも多く、その後開局したJ−WAVEなどに影響を与えました。今は当時ほど音楽局というイメージは強くはありませんが、どこからもネットせずに、ほとんどの番組を自社制作しているのは開局のころと変わりありません。

 今回は横浜の放送についての思い出を書いてみました。横浜では東京の放送を見ることができるので、横浜の放送局は全て独自の番組を作る必要がありました。東京以外の放送局ではとても大変なことなのですが、それだけに、横浜の放送局は小粒ながらオリジナリティーのある、魅力的な放送局が多いと言えましょう。それは、いろいろな分野で日本で初めてのことを行った横浜だからできたことでは無いでしょうか。

追記

2004年4月22日

TVKは2004年5月より横浜メディアビジネスセンターに移転になります。同時にTVKからtvkにロゴも変更になります。開局以来最大の変更ではないでしょうか。

アルバム

山下町のTVK 山下町のTVK。2004年春からは新しい場所に移転します。
(2003年5月1日撮影)

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(c) 2003 Masanori Kono